ミヒライ・エリキンの略歴

ミヒライ・エリキンの略歴

ミヒライ・エリキンは1990年2月23日ウイグル(東トルキスタン) 南西のカシュガル地区で知識人の家庭で生まれた。2007年9月から2009年7月まで北京郵電大学で勉強した。2009年9月から2013年7月まで上海交通大学の植物バイオテクノロジー専攻で勉強し、その間「光华奖学金」(光華奖学金)をもらっていた。2014年から2017年まで日本の東京大学で修士課程卒業後、2018年から2019年まで奈良県内の大学院で研究生として在籍した。2019年6月18日にウイグル(東トルキスタン)に帰り、2020年の2月に強制収容所に入り、12月24日に遺体を家族に渡した。

ミヒライ・エリキンは日本でウイグルの様々な活動に積極的に参加し、ウイグル人の子供に毎週日曜日にウイグル語を教えた。2019年4月17日で開催された証言会で父、叔母、従兄弟と16名の生徒たちに関して証言した。

ミヒライ・エリキンは2018年5月から2019年4月までソーシャルメディアから報告や叔父であるアブド アュプが集めた収容されているウイグル人に対する証言やウイグル(東トルキスタン)から出た手紙などを英語に翻訳しました。海外でいるウイグル人の子供たちの母国語を習うに関する資料を作成にアドバイスをしました。

ミヒライ・エリキンは2011年6月15日から2013年日本に来るまで、毎年の夏休みにカシュガルで開業したウイグル語クラスでウイグル語教師に務めました。